実は僕は幼稚園の年長さんの頃にヤマハ音楽教室に通っていました。小学生になると、近所のピアノ教室に移って、6年間ピアノを習っていました。今では音楽を演奏する機会は全くなくなっていますが、実は子供の頃は音楽が身近にあったのですよ。
さて、先日、縁あってヤマハ音楽教室アンバサダーとなりました。
→アンバサダー・プログラム|ヤマハ音楽教室
上記リンクによると、このアンバサダープログラムでは次のような活動をします。
ヤマハ音楽教室の魅力や楽しさをブログやツイッター、FacebookなどのSNSで積極的に情報発信していただける方をヤマハ音楽教室アンバサダーといいます。
音楽の大好きなヤマハ在籍生、卒業生、保護者の皆様、ぜひご登録をお待ちしております。
ご登録された方には、限定イベントや投稿企画などのご案内をいたします。
是非、ヤマハ音楽教室の魅力や楽しい思い出など、みなさん1人1人の声で発信してください。
僕は卒業生として何らかのお手伝いができたらなという気持ちでアンバサダーになりました。
このアンバサダープログラムの第1回目のイベントとして、先日キックオフミーティングが開催されました。
こちらでヤマハ音楽教室ついて少し勉強してきたので、その内容を紹介しようと思います。
・ヤマハ音楽教室の活動
現在は次の3つの活動がメインになっております。音楽教育事業、音楽研究活動、音楽支援事業です。
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メインとなるのは音楽教育事業で、幼児から大人まで幅広い層をその対象としております。僕が幼稚園生の頃に通った教室は、まさにその第一歩となるところですね。子供だけでなく、大人を対象とした教室もあって、生涯を通じて音楽とふれあう楽しみを追求していこうとしているようです。コンサートの開催もその活動のひとつですね。
音楽研究活動では、人が幼児から高齢者になるまでどのような発達過程をたどるかを研究し、その時々の認知に合わせた効果的な教育方法などを研究しているようです。その成果は以下のリンクにて紹介されております。
→ON-KEN SCOPE 音楽×研究 |
演奏技術だけでなく、心理的な点や身体的な点についても注目しているのがなかなかおもしろいですよ。
音楽支援事業では、音楽文化発展のために貢献するための、将来有望な若手演奏家や研究者、または学生に対するバックアップ活動です。音楽を学ぶための支援や留学支援、演奏活動の場の提供などがこれに当たります。
・ヤマハ音楽教室、幼児科の歴史
1954年 前身となる実験教室を銀座に開設
ヨーロッパでは街には音楽があふれているけど、日本ではそれがないということで、専門家だけでなく一般市民にももっと音楽に親しんでもらいたいという思いからヤマハの歴史がスタートしたそうです。今でこそ街を歩けばいたるところから音楽が聞こえてきますが、60年以上前では特別な演奏者がいたり、レコードがあったりという状況でなければ音楽に触れる機会はそうはなかったのかもしれません。そういう中で音楽に注目したヤマハには先見の明があったのでしょうね。
1956年にヤマハオルガン教室と命名され、最初はオルガンからのスタートです。ピアノは高価で大きい物なので、ピアノよりも安価で小さくて、誰でも気軽に触れることができるオルガンから始まったのでしょう。1959年にヤマハ音楽教室と改称されて現在にいたります。1973年には「ぷらいまりー」とうテキストが誕生しました。
1978年には改訂版の「ぷらいまりー」が出ます。
おそらくこれが幼稚園生の頃の僕も使ったテキストだと思います。この表紙とテキスト名は全然記憶には残っていなかったのですが、中身を見てみると覚えている曲もありました。
この「だいすきなパン」はタイトルと歌詞は覚えていませんでしたが、「ミレド ミレド ドドレレミレド」という簡単なメロディー進行ははっきりと覚えていました。ヤマハでの活動内容は覚えていないけど、これだけはくっきり覚えているというのは不思議ですね。
ちなみに、この頃はテキストにはレコードが付属していたそうです。以降、1988年にはCD、1996年にはCDとVHS、2006年にはDVDと付属するメディアの変遷もあったそうです。コンテンツもよりリッチになって、子どもたちも楽しく音楽に触れられるように進化していっているのですね。
幼児科の特徴
3つの特徴があります。ソルフェージュを軸とした総合音楽教育、グループレッスン、適期教育の3つです。
ソルフェージュとは音楽の基礎的訓練全般を言うそうですが、ヤマハでは特に「聴く」ことを重視しているそうです。理論からではなく、純粋に音楽を楽しむことを小さな子供に体感して欲しいということから来ているのだと思いました。
ヤマハでは個人ではなくグループレッスンから始まるのも特徴となっています。みんなで一緒になって歌って、踊って、音を出すことで一人で得ることができる以上のものを引き出そうとしているのでしょうか。友達に会えるというのも教室へ通うモチベーションにもなりますしね。
最後の適期教育は、子供の発達に合わせてどのような音楽教育をしていくかということです。例えば、最初の流れとして、聴く→歌う→弾くという3つのステップがあります。ただ、ここでは楽譜はありません。理論からよりも体感からという思いがここにはあるのだと思います。楽譜というある種の抽象化された記号よりも、実際に音を楽しむことが音楽の入口になったほうが子供にとってよいでしょうね。その後に「読む」という段階になって、ここで初めて楽譜が登場します。そして小学生になると「作る」段階に入るそうです。そう、作曲しちゃうのですよ。
・ヤマハ・ガラ・コンサート
以上のようなものがヤマハ音楽教室の幼児科の歴史と特徴だったわけですが、このお話の後、Bunkamura オーチャードホールで開催されたヤマハ・ガラ・コンサートに招待していただきました。
→ヤマハ・ガラ・コンサート2016概要 – ヤマハ・ガラ・コンサート – ヤマハ音楽振興会
ここではピアニストの上原彩子さんによるオーケストラをバックにしたチャイコフスキーの曲のピアノ演奏などもあったわけですが、なによりびっくりさせられたのはヤマハ音楽教室の在籍生による演奏です。9歳から13歳の小中学生が、自分で作曲した曲を自分で演奏するのですよ(アンサンブルの曲もあり)。ヤマハの教育メソッドによって、音楽に親しみ、そして自由に曲を作り出していくというその結果を存分に見させていただきました。僕もヤマハを1年間で卒業していなければ、もしかしたらあの舞台に立って演奏していたなんてこともあったのかもしれませんね(笑)
以上がヤマハ音楽教室アンバサダーのキックオフミーティングについてのレポートでした。今後もぜひこのようなイベントに参加して、ヤマハの魅力を体感してみたいですね。個人的には体験レッスンなどを受けてみたいなと思っております。もうピアノを弾く指は全然動かないでしょうけどね(笑)もしくは、音楽研究活動の研究会などにもオブザーバーとして参加させていただけたら嬉しいです。
ヤマハ音楽教室のアンバサダサーになると今回のようなイベントに参加できるチャンスがあります。興味がある方はぜひアンバサダーに申し込んでみてください。
→アンバサダー・プログラム|ヤマハ音楽教室
ヤマハ音楽教室についての詳細はこちらからどうぞ。
→ヤマハ音楽教室 公式サイト
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この記事の筆者は徳富政樹(とくとみ)です。ブロガー、街歩き案内人、なんちゃってフォトグラファー。日本全国を旅しながら写真撮影をしています。マニアックな場所や美味しいもの、鉄道、井戸ポンプ、ネコが好きです。トップページ | 旅の全記録 | フォトウォーク | 登山の全記録
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