とくとみぶろぐ

徳富政樹の育児、旅、写真、ガジェット、スイーツのブログ

名曲喫茶らんぶる

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高田馬場にはよく行くのですが、駅の近くに気になるお店があります。

僕がそのお店の存在を知った時からずっとドアが閉ざされたままで営業している形跡はありませんでした。

そのお店とは、ここ。

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煉瓦と石の柱が素敵な名曲喫茶らんぶる。

ご覧の通りすでに廃墟と化しています。

建物の上にある看板部分に注目してみます。

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「らんぶる」の「ん」と「る」が既に崩落してしまっているのです。

防護カバーはしていないので、落ちた文字はそのまま歩道へと落っこちてきたのかもしれません。

予防策を講じないで大丈夫なのかな。

かなり心配。

ドア部分に注目してみましょう。

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カーテンが閉まっていて中は見えません。

レンガもかなり崩れてしまっています。

ちなみにドアの前にある看板は閉店のお知らせではなく、どこかのアパートの空き室情報でした。

次に2階の窓。

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上部の円を描いている部分がかなり好きです。

昔のモダンな建築物にはこういう曲線が入っているのがポイントです。

次に1階の窓。

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外の植え込みにはあじさいがあったのですが、その枯れ具合と建物の雰囲気がマッチしていました。

窓にはチラシが貼ってあり、中は見えないようになっています。

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窓の横にはおそらくランプがかかっていたと思われる残骸が。

かなり腐食しています。

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建物の横はトタンで覆われています。

おそらく昔はここも煉瓦できれいになっていたのでしょうが、崩落してしまったのでしょう。

落書きいくない!

あちこち痛んでいるこの建物はいったいいつ建てられたんだろうと思って、何かヒントとなるものを探してみました。

すると横壁で電気メーターが。

20071003-07.JPG
(写真をクリックで拡大)

東京電力ではなく、関東配電株式会社となっています。

年代表記は目視では昭和20年と見えました。

仮にそれが正しいとしたら今年で62年目ということですよ。

念のため関東配電株式会社を調べてみると、1951年まで存在していた会社で、その年から東京電力に業務が引き継がれていったようです。

1951年と言えば昭和26年です。

ということは薄っすらと確認できた昭和20年の文字は正しかったということになりそうです。

こういう昭和の歴史を語り継いでいる建築物は朽ち果てるにまかせないで、なんとか文化施設などで再利用できないものかな。

もちろん修繕維持費用で莫大な金額がかかるんだろうけど。

このままなくなってしまうのは非常に惜しい物件です。

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7 comments
暇人吉之助清話-ワセスポ、昭和、世相、時事-

学生街の喫茶店

僕等の世代だと、高校生ぐらいまでは喫茶店に行くってとても
勇気のいることで、それこそ先生に見つかったら停学ぐらいの
覚悟が必要で喫茶店=不良みたいな感…

dawase86

こんばんは。そして、はじめまして。
名曲喫茶「らんぷる」は、とても気になる建物でした。
学生時代によくこの前を通ったのですけども、やっているのか
どうかもわからず・・・入る勇気もなく・・・ただ、そのレトロ調の
雰囲気がとても印象に残っています。
馬場もすっかり昔の面影が無くなってしまい、単調で無味乾燥した
街並みになっていくので、こうした建物を朽ち果てさせるんじゃ
なくて残していって欲しいと思います。

とくとみ

>dawase86さん
はじめまして!
コメントありがとうございます。
らんぶるは一時期やっているようでやっていなかったり本当に不思議なお店でした。
でももう開くことはない雰囲気がしているのがすごく残念です。
僕も一度でいいから中でコーヒーを飲んでみたかったです。
馬場はまだ一歩路地を入ると昔ながらの建物が残っていたりしますが、大通りは普通の街になってしまいましたね。
そういう中でらんぶるはかなり貴重な建物だと思っています。

Key

超遅まきながらのコメントを投稿しますが果たして届くものやら。私が早稲田大学に入学したのが昭和29年、その時には「らんぶる」はすでに営業をしていたと記憶しています。在学中は名曲喫茶のブームでした。その後に来る「歌声喫茶」に先行するものでした。喫茶店内の照明は極端に暗く、いつも煙草の煙が朦々。眼をこらすと其処ここに学生の人影が。みんな陰鬱な表情で、SP版のベートーベン、ショパン、チャイコフスキーなどに聞き入っていました。早稲田通りを挟んで斜め向い(早大方向)に同一経営者によるバー「らんぶる」がありました。同じような趣向のレンガ造りの建物でした。昭和33年ころまではどちらの店にも足を運んだものでした。

とくとみ

>Keyさん
とても貴重な情報ありがとうございます。
昭和29年にはこのらんぶるは営業していたのですね。
戦後の動乱期を乗り越えたような風格があるとは思っていますが、やはり実際にその時代にあの場所にしっかり存在していたというのがはっきりすると何となくうれしいものです。
今は外からその崩壊しつつある姿しか見ることはできませんが、Keyさんのコメントで中の様子を頭の中でイメージすることができました。
一度実際にお店の中でコーヒーを飲んでみたかったです。
さらに、バーの「らんぶる」あっただなんて。
こちらは初めて知ったことでした。
あのレンガ造りの建物がほぼ向かい合っている姿は美しいものだったでしょうね。

館 淳一

偶然通りすがりに「らんぶる」が目についたのでコメントさせていただきます。99年に高田馬場の事務所に通うようになって、いつも気になっていた「らんぶる」に意を決して(ひとりでは入れないので知人を誘って)入ったのは、2001年の11月のことでした。
店主がひとりでいてテーブルは入ったところの3つぐらいを客用?とし、薄暗い店の奥はソファの上にふとん、壁には衣類などがあり、完全に「職住一致」の様相を呈しておりました。
音楽はカセットデッキ。しかしかけているふうもありませんでしたね。コーヒーはろくに洗ってもいないカップで味はもう分かりませんでした(恐怖で)。
ものすごくおしゃべりな店主で昔の話を機関銃のようにしゃべりまくり困っていたらおばさん二人がやってきて、どうやら彼女たちは早稲田の学生だったらしくて、懐かしくて入ってみたそうで、店主の関心がそちらに向かった隙に脱出しました。一杯500円でした。
店内は汚く乱雑で物置のようでしたが、トイレだけは清潔でしたね。今は懐かしの頭上にシスタンがあって鎖で引っ張るやつ。タイムマシンでしたね。
それから1年ぐらいして店主がいる気配が消え、立て看板も失せました。今はずっと荒廃するに任せているのですが、壁の崩落部分などちゃんと修理しているのは誰がやっているのか不思議です。

とくとみ

>館淳一さん
コメントありがとうございます。
実際に高田馬場のランブルに入ったことがある方からのお話有り難く聞かせて頂きました。
外の雰囲気からなんとなく中を想像してはいましたが、それをはるかに超えるものだったようですね。
僕もここのコーヒーを一度見てみたかったです(笑)
僕もたまにこの前を通るのですが、崩落具合が少しずつ変わってきている気がします。
確かに修理の跡もあるし、誰が管理しているのか興味深々です。