旅の目的は旅をする人の数だけあると言ってもいいでしょうね。絶景を見る、美味しいものを食べる、買い物をする、人と会う、イベントに参加するなど色々なものがあると思います。僕がこれまでしてきた旅の中でもなかなか面白いなと思ったのは駅を訪れることです。もちろんただ漠然とある駅に行くのではなく、その駅に行く必然性があったのです。その駅こそが札沼線の中徳富駅、下徳富駅と南下徳富駅です。僕の名字は徳富です。やっぱりこの2つの駅には何としても行かなくてはいけませんよね。
名字と同じ文字がある駅との出会い
小学校の高学年くらいから時刻表を読むようになりました。まだその頃は自由に旅に出るなんてことはできないので、巻頭の路線図を眺めたり、気になる列車の時刻を追ったりなどして妄想旅行を楽しんでいました。そんな折に北海道の路線図を何となく見ていたら見慣れた駅名が目に飛び込んできました。それが札沼線の下徳富と南下徳富です。この頃は北海道はものすごく遠い地でした。上野駅から特急はつかりで青森まで行き、青函連絡船で函館に渡り、そこからさらに特急北斗に乗るなど、現在に比べるとはるかに大変だったと思います。さらに札幌からローカル線の札沼線に乗って終点近くまで行くとなると小学生の想像を完全に越えていました。いつか行ってみたいと想いつつ、ようやくそれが実現したのが2006年1月のことです。僕が33歳の頃ですね。その頃も写真を撮っていたはずなのですがなぜか手元に残っていません。これから紹介する写真は2度目の訪問となった2009年7月のものです。
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下徳富駅と南下徳富駅の場所、行き方
まずは下徳富駅の場所から確認してみましょう。
札幌駅から札沼線に乗って19駅目、73.1kmの地点にある無人駅です。その隣が終点の新十津川駅です。札沼線を利用して訪れる以外に、函館本線の砂川駅から徒歩で訪れることも可能です。2006年の最初の訪問時には行きは砂川からタクシーで、帰りは徒歩で砂川に戻ってきました。2009年の2度目は、行きは列車で、帰りは徒歩で砂川というルートでした。
次は南下徳富駅です。
下徳富駅の札幌方面に向かっての隣の駅です。札幌からは18駅目、71kmの地点にあります。2006年は南下徳富は訪れませんでしたので、2009年に初めて訪問しました。札幌駅から札沼線で終点の新十津川駅まで行き、折返し列車で南下徳富で下車。南下徳富から下徳富まで徒歩で移動し、そこから砂川まで歩くというなかなかハードなプランでしたね。
南下徳富駅
先ほど紹介したルートに従ってまずは南下徳富駅から見ていきます。まずは札幌駅から札沼線に乗って新十津川を目指しました。その途中で目的地である南下徳富駅を通り過ぎます。この駅名標はずっと憧れでした。
しかし、駅自体はとても寂しい感じでしたね。
ちなみに、南下徳富及び下徳富駅がある札沼線の新十津川駅寄りの区間は1日たったの3往復しかありませんでした(現在は1往復)。この限られた本数の中では乗ったり降りたりを繰り返すのは不可能なので、今回のような変則的プランになっています。
新十津川駅からの折返し列車で南下徳富駅に下車しました。過ぎ去るたった1両の札沼線を見送るのはとても寂しいものがありました。
列車が見えなくなると、駅周辺はとたんに殺風景となります。
駅周囲には何もないのですよ。いや、畑はあります。どこまでも続く畑が。遠くに建物はあるけれども、大声を張り上げてもきっとその声は届かないだろうなという距離感です。しかもホームは板張りなのですよ。
歩くとギシギシという木の軋む音が聞こえてきそうです。都内の駅では考えられない光景ですね。そのホームを降りたところに小さな木造の待合室があります。
< 倉庫ではありません。れっきとした待合室です。立て付けの悪いドアを開けるとそれなりの広さはあるけれどもベンチしかない空間がありました。
駅の利用者はほとんどいないはずなので、実際にこの待合室も列車が到着するのを待つという目的で使われることはまずなかったのでしょうね。しかし内部はきれいに整理整頓されていました。
徳富という名字の人間が南下徳富駅を訪れるというただそれだけのために東京からはるばるここにやって来ました。観光をするところも駅の周囲にはありません。でもここに来ることができたという事実が大きな感動をもたらしました。他の人にとってはなんて無意味なんだと感じるかもしれませんが、徳富一族にとっては旅の目的になることですね。
ちなみに、南下徳富駅は「みなみしもとっぷ」と読みます。「とくとみ」ではないのです。「とっぷ」はアイヌ語が由来で、「徳富」という漢字が割り当てられました。、徳富家が移住したというような事実は全くありません。実は僕のご先祖さまとは無関係な地名なのです(笑)
下徳富駅
南下徳富駅から徒歩で下徳富駅にやって来ました。この間の距離は2.1kmです。下徳富駅は2度目の訪問になります。こちらは南下徳富駅とは異なり駅舎が残っていました。
下徳富駅周囲にも何もありません。ぽつりと駅舎がある様子はすごく寂しげであります。駅舎に入ってみましょうかね。
1979年までは有人駅だったそうですが、それ以来無人駅です。人の気配が感じられない駅舎内はちょっと冷たさがあります。板で塞がれた向こう側がかつて駅務室だったところですね。
この駅舎を出た向こう側にホームがあります。
この当時は1日3往復でしたが、駅利用者はほぼいなかったようですね。それではホームに出てみましょう。ホームから駅舎を見てみると、正面からよりも駅らしさがありますね。
線路の向こう側には畑が広がります。
景色としては南下徳富駅とほぼ変わりはありませんね。ただ、ここからは作業をしている人の姿が見えました。遠くではあるけれども、人の存在が感じられるだけで安心感が出たものです。
下徳富駅の入場券
この下徳富駅は無人駅ですのできっぷの購入はできませんでした。しかし、ある鉄道イベントでこのきっぷを見つけて、迷わず買っちゃいました。
下徳富駅の入場券です。発行年は昭和53年です。無人駅になる1年前ですね。僕が5歳になる年です。今でも僕の宝物のひとつになっています。
廃止となった中徳富、上徳富、北上徳富
ところで、最初に僕が時刻表で見たのは中徳富駅、下徳富駅、南下徳富駅とお話しましたが、ここまでで中徳富駅は出てきていません。実は2006年に廃止となってしまったのです。現存していたら絶対に訪れたいところですが、なくなってしまったのなら仕方ありません。その痕跡は下徳富駅の駅名標に残っていました。
中徳富駅は下徳富駅と新十津川駅の間にありました。シール処理が施されている新十津川駅の下には中徳富駅があるのでしょうね。肉眼では見えないけれども心の目で中徳富駅の存在を確認しました。あれ?僕は2006年1月に下徳富駅は訪問しているので、その時には中徳富駅も存在していたはずですね。あー、その時にちゃんと行っておけばよかったと今でも後悔しています。
また、「徳富」がつく駅名としては、実は上徳富駅と北上徳富駅もかつては存在していました。札沼線は1972年に新十津川駅と沼田駅感が部分廃止となっています。この区間に上徳富駅と北上徳富駅がありました。札沼線の徳富駅シリーズは全5駅あったのです。そのうち3駅が廃止となり、2019年現在残っているのは南下徳富と下徳富の2駅とみとなっています。
下徳富と南下徳富も2020年5月で廃止
実は札沼線の北海道医療大学駅と新十津川駅間が2020年5月に区間廃止されるので、その区間にある下徳富駅と南下徳富駅も廃止されることが決定しています。「徳富」がつく駅名はこの世から存在しなくなってしまうのです。それまでにもう一度訪れる機会が果たしてあるかどうか。全国の徳富さんは何としても廃止前に聖地訪問をしてくださいね。
まとめ
今回は自分の苗字と同じ駅を訪問することも旅の目的になるんだというお話をしました。東京に住む徳富が北海道の下徳富駅と南下徳富駅を訪れるというものですが、きっと皆さんの名字についても同じ駅名が存在している方がいると思います。ただそれだけのことではあるのだけれども、思い出として残ることは間違いなしです。ぜひ探してみてくださいね。僕のように廃止になってしまって二度と訪れることができなくなってしまうのは寂しいことなので、できるだけ早めに旅立つのがいいでしょうね。もちろん、名字だけでなく名前の駅も訪れたいところです。僕の名前は政樹です。この文字を使った駅はないのですが、同じ発音をする駅は日本に2つあります。近いうちのそのお話もさせてください。
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この記事の筆者は徳富政樹(とくとみ)です。ブロガー、街歩き案内人、なんちゃってフォトグラファー。日本全国を旅しながら写真撮影をしています。マニアックな場所や美味しいもの、鉄道、井戸ポンプ、ネコが好きです。トップページ | 旅の全記録 | フォトウォーク | 登山の全記録
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